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ニーゼと光のアトリエ


Horizon, Morocco(2016) 

〜モロッコの障害者支援施設オリゾンで作られたカエル

子供の頃、父に連れられて時々近所のレンタルビデオ屋へ行った。私が借りるビデオは映画ドラえもんか、マリリンに逢いたいか、海の中で呼吸をすると髪の毛が青色に変わる人魚のお話のどれかだった。それでも、レンタルビデオ屋へ行くのが好きだった。

私の映画好きはあの頃から始まっている。

本よりも映画派な私は、自分の子らにも「映画なんかより本を読め」とは言えない。テレビを観る時間は1日○分にしなさいというアドバイスも耳が痛い。我が家の子らは、立派なテレビっ子になっている。構わない。映画は最高だ。今時はネットでいくらでも映画を買ったり借りることができる。それでも私は子どもたちとレンタルビデオ屋へ行く。あの自分の背丈よりも高い棚、タイトルのジャングルの中からお気に入りの一本を探すことが楽しいからだ。子どもたちがドラえもんやらアンパンマンのコーナーの前で悩む間、私は準新作コーナーを物色する。準新作コーナーは、子どもたちの姿がよく見える位置にあるのだ。新作は高い上に、子どもたちが死角になるからいけない。

そうして今回の一本を手に取った。

大概、映画を借りても1週間そのまま観ることなく返却することの方が多い。今回も一度は1週間が過ぎてしまった。けれど、もう一度借り直した。そして明日で返却期限が来てしまう。流石に観ようと、洗い物を後回しにしてソファに座った。週末から子どもが体調を崩し、ろくに作業もできず気分転換が必要だった。

舞台は1940年代のブラジルの国立精神病院。当時の精神科医療ではロボトミー手術や電気痙攣療法が最先端だった。また、この時代はフロイトは亡くなり、ユングが活躍している頃でもあった。この病院でも、これらの治療が行われていた。そこへ1人の精神科女医が赴任する(出戻る)。ニーゼ医師。ロボトミー手術や電気痙攣療法に違和感を持っていた彼女は、病院の作業療法部門の責任者を任されることになった。当時の作業療法というのは、壊れたものを直したり、清掃をするのがその内容だった。薄汚い部屋に、何をするでもなく存在する患者たちにやる気のない看護師。ニーゼ医師は部屋を清掃するところから始めた。暴れる患者を抑えつけようとする看護師には「乱暴は許さない。私たちの仕事は、時間をかけて彼らを観察することから始まるの」と言い、「自由にさせてあげて」と言い切る。種を集める者、ひたすら歩き回る者、人形を愛でる者、自分の便で壁に落書きをする者。当時の病院の中で異端児扱いされていたニーゼ医師にも仲間が増え、作業療法室はアトリエへと変わって行く。アートが人にもたらす可能性、いや人の可能性を引き出すアートの力。それは単なる芸術的表現の素晴らしさだけではなく、当時ゴミのように扱われていた精神疾患患者をもう一度社会に引き戻す力を持つものだったのだ。

現代でこそ作業療法において絵画や陶芸などは当たり前のものとなっているが、その発端となったのがこのニーゼ医師の活動らしい。私は作業療法の歴史を知らなかった。障害者アートの意義について話題にされることが増えた昨今だが、その原点に触れることができたような気がした。もっと詳細にネタバレをしたい素晴らしいシーンがあるのだけれど、ぜひとも作品を見て頂きたいので我慢する。

やるべきことが山積みで気分が滅入っていたが、思い切って映画を見てよかった。明日は元気に頑張れそうだ。さて、明日が返却日。今度は何を借りようか。

 

<告知>

 ※10/21 13:00〜トークイベントあり

11/3 17-18時 仙台写真月間2018「二宮雄大×和田芽衣」アーティストトーク@SARP spaceA ※予約不要・参加無料

11/24 第4回とまり木コンサート出演@飯能市民会館大ホール(埼玉県飯能市)※チケット一枚999円、お手数ですがご希望の方はメッセージをください。

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