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おばあちゃん
- mei wada
- 2018年8月17日
- 読了時間: 2分

※写真は昨年のもの
今年も8月18日がやってくる。
この日は母が亡くなった日。今年で7年目です。
祖父が亡くなり、母が亡くなり、今母方で生きているのはおばあちゃん一人。
夫に先立たれ、一人娘に先立たれ、自由奔放な孫達のわがままを受けてほぼ一生を過ごした横浜から埼玉の施設に入ることに。
おばあちゃんの為に、実家のある横浜に戻ることも真剣に悩みました。
障害を持つ娘を育てる大先輩お母さん(母の同級生)に「めいちゃん、老人介護と障害ある子の子育て両方は無理よ。子どもの方を選びなさい」と言って頂き、私は我が子の子育ての方を選んだ。
でもそれは、いかなる理由があろうと、祖母にとって残酷な決断には違いなかったでしょう。私は祖母を捨てて、我が子を選びました。誰が何と慰めてくれようと、会いに行く度に「何もしてあげられなくてごめんね」と泣き、ぼんやりと過ごす祖母を見ると罪悪感に襲われます。
近頃祖母の記憶はより曖昧になり、動きも鈍くなりました。
家族の喧騒から離れ、懐かしい人にも会えず、何をするでなくただ過ごしている祖母は生きているのか、死んでいるのか。
じゃあ今から自宅で介護を…とはできない自分をとにかく情けなく思う。子育てしながらの介護。これをやっている人たちも、今の日本にはたくさんいるというのに、それをしない私。“やらない”という選択をし続けている私。
祖母がどんなに泣こうと、「そんなことないよ、おばあちゃん。おばあちゃんに会うのをひ孫達も楽しみにしてるんだよ。ありがとうね。また来るね!」と必ず笑顔で別れます。心の中で「ごめんね」と言いながら。
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